日本および諸外国には「最低賃金」というものが法律で定められています。
日本の法律として定められる最低賃金法の第1条(目的)は次の通りです。
最低賃金法
第1条(目的)
この法律は、賃金の低廉な労働者について、事業若しくは職業の種類又は地域に応じ、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
たいそうご立派な理由と目的ですが、では現実はどうなのでしょう。
果たして今の日本で、最低賃金で暮らすとはどのように生活することになるのでしょうか。今回はこれをシミュレーションで検証していこうと思います。
2020年10月より最低賃金は次のように改められました。
都道府県名 最低時給(以前) 発効年月日
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北海道 861 (861) 令和元年10月3日
青 森 793 (790) 令和2年10月3日
岩 手 793 (790) 令和2年10月3日
宮 城 825 (824) 令和2年10月1日
秋 田 792 (790) 令和2年10月1日
山 形 793 (790) 令和2年10月3日
福 島 800 (798) 令和2年10月2日
茨 城 851 (849) 令和2年10月1日
栃 木 854 (853) 令和2年10月1日
群 馬 837 (835) 令和2年10月3日
埼 玉 928 (926) 令和2年10月1日
千 葉 925 (923) 令和2年10月1日
東 京 1,013 (1,013) 令和元年10月1日
神奈川 1,012 (1,011) 令和2年10月1日
新 潟 831 (830) 令和2年10月1日
富 山 849 (848) 令和2年10月1日
石 川 833 (832) 令和2年10月7日
福 井 830 (829) 令和2年10月2日
山 梨 838 (837) 令和2年10月9日
長 野 849 (848) 令和2年10月1日
岐 阜 852 (851) 令和2年10月1日
静 岡 885 (885) 令和元年10月4日
愛 知 927 (926) 令和2年10月1日
三 重 874 (873) 令和2年10月1日
滋 賀 868 (866) 令和2年10月1日
京 都 909 (909) 令和元年10月1日
大 阪 964 (964) 令和元年10月1日
兵 庫 900 (899) 令和2年10月1日
奈 良 838 (837) 令和2年10月1日
和歌山 831 (830) 令和2年10月1日
鳥 取 792 (790) 令和2年10月2日
島 根 792 (790) 令和2年10月1日
岡 山 834 (833) 令和2年10月3日
広 島 871 (871) 令和元年10月1日
山 口 829 (829) 令和元年10月5日
徳 島 796 (793) 令和2年10月4日
香 川 820 (818) 令和2年10月1日
愛 媛 793 (790) 令和2年10月3日
高 知 792 (790) 令和2年10月3日
福 岡 842 (841) 令和2年10月1日
佐 賀 792 (790) 令和2年10月2日
長 崎 793 (790) 令和2年10月3日
熊 本 793 (790) 令和2年10月1日
大 分 792 (790) 令和2年10月1日
宮 崎 793 (790) 令和2年10月3日
鹿児島 793 (790) 令和2年10月3日
沖 縄 792 (790) 令和2年10月3日
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全国加重平均額 902 (901) -
(出典:厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/
この中で最も高いのが東京都の1,013円、最も安いのが秋田県と沖縄県の792円でした。その差は実に221円です。九州と東北は全国で最も低く792円~793円となっています。全国平均では902円となっています。
不動産の価格の差や家賃の差もあるということもあるのかもしれませんが、このように大きく差があることを、これらの地方に住む人たちは受け入れざるを得ません。
最低賃金の地域で時給792~3円で生活する人の収入を計算してみます。このような賃金の場合だとたいてい短時間労働の場合が多く、こういうことはあまりないのですが、法定労働時間のフルタイム、つまり8時間で週5日(週40時間)されているものとします。時給は793円だとしましょう。
793円×8時間=6,344円 ということで、1日あたりの収入は6,344円です。
1年は何週間かを計算します。
365日÷7日=52.142週
1年の法定労働時間は、52.142週×40時間=2,085.714時間
これを12で割れば1カ月当たりの労働時間になります。
1カ月当たり労働時間:2,085.714時間÷12か月=173.809時間/月
これに時給をかけますと1か月の収入になります。
173.809時間×793円=137,831円(小数点以下切り上げ)
結論として、最低賃金で生活する人は1か月137,831円の中からすべての支出を賄わなくてはなりません。これは手取りではありません。諸手当を除く総支給です。
ここからはフィクションになります。
鹿児島県の過疎地域から高校を卒業して鹿児島市内に出てきた若者が最低賃金の職業について生活を始めました。どのようなことになるかシミュレーションしてみましょう。
おれのなまえは、コウキ。鹿児島県のはずれにある田舎から、地元の高校を卒業して鹿児島市内にやってきた。おれ、これからいろいろなことを学んで成長したいと思ってる。
おれの家は貧乏であまり塾とか行けなかった。まずは社会に出て働きながら勉強するつもり。進路の相談でそのことを先生に言ったら、鹿児島市内に住んだらいいって言われたんだ。バスとかですぐに通勤できるからって。
できれば、お金がかかるんでバスとかも使いたくない。だって、定期券最も安い区間でも7,980円するっていうから。歩いて通勤できるところがいい。貯金はないのでバイクはもちろん自転車も買えないし。
住むところを探したんだけど、何とか徒歩で通勤できるところで最低の家賃のところは30,000円だったが、ちょっといくらなんでも狭くて古い。勤め先まで歩いて12分のところに家賃42,000円の1Kがあったからそこにすることにした。ちょっと高いけど交通費がいらないからいいかなと思って。エアコンやIHコンロもついていたし。BSのアンテナも来てるって。
1ヶ月後、初めての給料をもらった。給与明細はこんなもんだった。
総支給額 137,831
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健康保険 6,867
厚生年金 12,261
雇用保険 413
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社会保険料合計 19,541
課税所得額 118,290
所得税 1,640
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差引支給額 116,650
11万6千6百50円。田舎にいたころ母からたまにもらっていた小遣よりはるかに高く、少しうれしかったが、その嬉しさはやがて心配に代わる。
1か月の電気代が、だいたい3,300円位、2か月に1回払うんだけど水道代が一月当たり1,700円前後、NHKの受信料ってやつが3,590円。唯一の楽しみ、スマホの料金が、1か月当たり8,000円程度。これらの料金全部合わせれば毎月必ず16,000円以上出ていくお金が決まっている。
ここから、家賃。42,000円。これを払えば、残りは58,000円しか残らない。
1か月は31日。一日平均1,800円で暮らさなければならなかった。
母から送ってもらった缶詰やインスタントラーメンがある。スーパーで5kgの米を買って1,800円。今日使えるお金はこれで終了。自動販売機で缶コーヒーも飲めんわ。
いろいろ、勉強したかったが、メインの仕事以外にもアルバイトでもせんと、専門学校なんかに行くのは夢のまた夢だ。自転車すら買えない。
仕事は単純作業ばかり。今より賃金の高い仕事に転職するようなスキルも身につかないし、おれ、これからどうしたらいいのかなあ・・・・・
あれから、42年。今日で定年を迎える。会社の人みんなにあいさつをして、最後の退勤時のタイムカードを押した。
我慢しながらもどうにか生きてきた。頑張って自動車整備士の資格も取って、それなりに後進も育てる立場にはなった。給料も高くはないけどどうにか暮らしていけた。
決して平坦な道のりではなかった。途中で病気にもなったし、ケガもした。借金もしたがどうにかこうにか返した。苦しいことの方が多かったような気がする。結局家も建てられなかったし、結婚もしなかった。
旅行のような贅沢なことは何一つしていない。定年を迎えてみて、貯金も、家も、何も持っていない自分がいる。
年金はあと5年しないともらえない。65歳までは体を大事にしてどこかで働かないといけない。再雇用してもらおうとも思ったが、会社の事情を考えると言えなかった。次の就職先ももう決めた。
あと5年。65歳を過ぎるといよいよ引退かなあ。年金はいくらもらえるのだろうか。もらえる年金の計算をしてみたらどうやら月額で15万ほどになるらしいことが分かった。15万か。
高卒で鹿児島市内に出てきたころよりは多いんだな。でもこれからの人生も贅沢はできない。自分が介護される身になったら介護費用は一体どうするんだろうか。考える気にもならなかった。
若いころ、無理をすれば、家を建てたり結婚して家族を持ったりいろいろできたのかもしれない。でも、何も持たない人生もこんな風に成り立つんだなと思う自分がいた。
人は誰でも一人で生まれて一人で死んでいくという。今の自分がまさにそんな感じだなと思いながら職場をあとにした。
さて、最低賃金793円でめいっぱい働いたときの月給が137,831円になりました。ここから社会保険料と所得税を引いた残りが116,650円になりました。
ちなみに、鹿児島市で19歳一人暮らしで生活保護を受けたとすると最も少ない場合でも月額12万8千円ほどでます。生活保護受給者は社会保険料も所得税も引かれませんので、生活保護をもらったほうが得をするということになります。
そのような矛盾すら抱えている日本の最低賃金、「792円」ですが、諸外国ではどうなのでしょうか。
OECD加盟国の2019年の最低賃金を調べた資料(OECD 「Real minimum wages」「Average annual wages」)によると、次のとおりです。
※日本の値は2020年のものを採用
国名 最低賃金($) (円換算) 対日本比率
1 オーストラリア 12.6 1,319 167%
2 ルクセンブルグ 12.5 1,309 165%
3 フランス 12.1 1,267 160%
4 ドイツ 11.8 1,235 156%
5 オランダ 11.0 1,152 145%
6 ベルギー 11.0 1,152 145%
7 ニュージーランド 11.0 1,152 145%
8 イギリス 10.5 1,099 139%
9 カナダ 10.2 1,068 135%
10 アイルランド 10.1 1,057 134%
11 韓国 8.6 900 114%
12 スペイン 8.6 900 114%
13 日本 7.57 792 100%
https://stats.oecd.org/Index.aspx?DataSetCode=RMW#
このように日本はOECD加盟国の中でも低い水準にあります。これから未曽有の少子高齢化社会がますます進展する中、労働力不足になるから、外国人労働者を受け入れるなどといいますが、こんなに低くては韓国に行った方がいいということにならないでしょうか。
今一度、日本の現状おかれているこの現状を、最低賃金から認識しておいた方が良いと思います。しかしこのような状況、どうにかならないのかと考えている人がいないわけではありません。
この頃よく聞く「ベーシックインカム」という言葉が、その解決方法の一つとして注目されています。「ベーシックインカム」とは何なのか、日本に導入した場合はどのようになることが予想できるのかについて考えてみましょう。
ベーシックインカム(basic income)とは最低限の所得を保障するため、国民に一律一定額の給付金を配ろうという制度です。
小泉政権で経済財政担当相を務めた竹中平蔵氏が、マイナンバーカードと個人の銀行口座を紐づけることを条件にして一律7万円を給付するという提案をテレビ番組で公表したことが大きな話題になりました。
ベーシックインカム自体は、フィンランドなど諸外国の実証実験の結果がいくつかあるため財政に負担がなければ、実施には一定の効果があることがわかっています。コロナの給付金が一人10万円支給されましたが、これもそれに準じたものと言えるでしょう。
竹中平蔵氏は、今の日本の財政状況であれば一人7万円までなら負担がかからないということを言いたかったらしいのですが、「7万円では暮らせない」、「これで生活保護を打ち切れば実質減額」などの懸念する意見がSNSで多く見られました。
病気や障害で就労することのできない人に対する生活保護などは別に減額して支給がされるものとして、最低賃金で暮らしているコウキのような若者が7万円を受給すれば、総支給137,831+70,000で207,831円となります。
給与明細の中に社会保険料がありましたが、ベーシックインカムの財源は現行の社会保障とされていますので、本格的に運用されるようになれば、これも不要になります。
これで手取り額が19,000円余り増加するかもしれませんがその代わり、所得税が大幅に上がることも想定されます。よって給与の手取り額は大きく変わらないと考えたほうが良いのかもしれません。
すると、一日1,800円で生活していかざるを得なかったコウキも一日4,100円くらいまでは使えるようになるので、贅沢をしなければどうにかなりますし、貯金もわずかながらできるようになるかもしれません。
こうした若者にはよいのかもしれませんが、これまで長年にわたって多額の社会保険料を支払い続けてきた人にとっては大きく損をするという結果になることも指摘されています。
これまでの社会保障の仕組みが亡くなるということは、医療費が10割負担となり年金もベーシックインカムに代わるとなるとお金はあまり使えないし、万が一怪我で入院でもすれば破産しかねないことを覚悟しなくてはならなくなるでしょう。
こうしたことを防ぐには、別途医療保険や個人年金に入らざるを得なくなるためこの費用も月々の支出にプラスされることとなります。保険関係大手は手ぐすねを引いて待っているのではないでしょうか。
経営状況の厳しい経営者はベーシックインカムがあることを理由に賃金の引き上げをしなくなるということも考えられます。
全ての解決策とは言えないでしょう。
このようなことがまことしやかに検討される時代に入ったということ自体、現状の社会保障制度がもはや成立しなくなりつつあることが見えてきていることの証左と言えるのかもしれません。