全世界に16億人以上とされているイスラム教徒(ムスリム)。海外への渡航が容易になった昨今ムスリムとも、食事を共にする機会もあるかもしれません。そこで気をつけなればならないのが「ハラール」です。「ハラール食」という言葉をニュースできいたことがある方も多いのではないでしょうか。
代表的なものに「豚肉を食べてはいけない」というものがありますが、「ハラール」とはそもそもいつから存在して、どのような決め事があるのでしょうか。歴史と食のハラールの現在について調べてみました。
ハラールはアラビア語で「許されている、合法」を意味し、反対に「禁じられている、非合法」という意味が、ハラームです。
さらにその中間に、「シュブハ」というハラール・ハラームの判断出来ない、出来れば避けるべきもののカテゴリも存在し、屠殺方法が不明な牛乳肉や鶏肉などが該当します。
そして食事に関わらず、ハラール、ハラームといった言葉は使用されており化粧品や医薬品など広くハラールが適用されています。
ハラールはもともとイスラム教の聖典クルアーンに規定されているイスラム法上の概念です。
イスラム教の歴史は古く、7世紀の初めアラビアで開祖であるムハンマドによって布教されました。
ハラールはイスラム教の聖典クルアーンに規定されているイスラム法上の概念ですが、神への帰依を目的とし、信仰と生活を区別しない生き方そのものへの教えあります。そのため、ハラールとハラームはムスリムにとって生活全般に大きく関わる一つの大きな指針となっています。
以下はクルアーンの一節ですが、
“かれがあなたがたに、(食べることを)禁じるものは、死肉、血、豚肉、および神以外(の名)で供えられたものでる。だが、故意に違反せず、また法を超えず必要に迫られた場合は罪にはならない。神は寛容にして慈悲深い方であられる。”
(二章173節より)
“あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭け矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の業である。
これを避けなさい。“
(五章90節より)
と、はっきり豚肉や飲酒を禁じる一文があるのがわかりますが、現代のムスリムたちは豚肉のみならず豚由来の食品やイスラム式で屠殺していない牛肉、鶏肉なども禁忌とされているのはどういった経緯があるのでしょうか?
そこには千数百年という長い歴史の流れが関わっているようです。
イスラム教の聖典クルアーンはムハンマドが神から啓示を受けた言葉をまとめたもので、ムハンマド自身が記憶しその言葉を周囲の人間が記録を取っていました。
父親はムハンマドが生まれる前に、母親も彼がまだ幼い頃に他界し孤児でしたが、伯父や祖父の庇護を受け成人し、25歳の頃裕福な商人の娘と結婚します。
その後ムハンマドが40歳になる610年頃、ムハンマドはヒラー山へ出かけた時に大天使ガブリエルの声を聞きます。最初自分は悪魔に取り憑かれてしまったのではないかと疑いますが、妻の従兄弟のワラカにモーセのような預言者になったことと、その予言によって将来迫害を受けることを予言されます。そこで始めてムハンマドは神の言葉を伝えるための預言者としての自覚を持ち、その後20年以上に渡って啓示を受け続けます。
5世紀の出来事ことですから筆記の手段も、石や動物の骨に刻みつけたり、羊皮紙に書きつける他ありません。またムハンマド自身は文盲で読み書きが出来なかったと言われています。
ムハンマドの没後、後継者のウスマーンが聖典としてまとめる作業を命じます。その頃すでにイスラム教の勢力は現在のイラン東部、エジプト、リビア方面と拡大していたため、言葉の統一がとれなくなり、イスラムの教えの根本が揺らいでしまう懸念のため必要な作業でした。
またクルアーンの中には、礼拝の具体的なやり方については記述されておりません。文字通り読むだけでは、ムスリムがどのように行動していいのか分からない部分は「ハディース」と呼ばれる文献(ムハンマドの言行録)の中にムハンマドが礼拝をどのように行っていたか、というようなことが記述され参照されるようになりました。
ですが、イスラムの戒律を7世紀当時のまま現代の生活様式に当てはめると適合しない部分が出てくることは避けられません。イスラム法において利子はハラーム(非合法)であるわけですがイスラム圏にも利子で利益を上げる銀行は存在します。
「クルアーンに反しているのではないか」と思われるかもしれませんが、何が利子に当たるかは明文化されていないので、利子を合法化させるために法学者たちが議論を行い、実社会に即した解釈を行い社会活動を行う上で不都合をなくしました。
また、コーヒーなど7世紀になかったものが伝播されたときも議論になり1511年、マッカでコーヒー禁止令が出ますがその後許容されています。
このようにクルアーンに明示されていない事柄については、その時代によって解釈が変わることがわかります。
解釈と言えば、日本人の感覚では「拡大し過ぎでは?」と言いたくなるハラールにまつわる裁判も起きています。
2001年インドネシアの社会保健省は、日本の大手食品メーカー味の素に対して、
「製造過程に豚に酵素が使用されているのは、イスラム教の教えに反し、消費者保護法に違反する」として、化学調味料の回収命令を出しました。
インドネシアは人口の7割以上がムスリムの国で、食品にはハラール表示がされています。そんな国で禁止されている豚の成分を使用するというミスを犯すはずがなく、もちろん材料には豚由来の成分は使用していませんでした。
発酵菌の栄養源を作る過程の触媒として豚の酵素を使用していたのが、禁忌とされインドネシア当局から「触媒であっても認められない」とする判断が下され、担当者役員ら6人が逮捕されるという事態に。
インドネシアの有識者の中にも「最終製品に豚由来のものが含まれるわけではないのだから」と擁護する声もありましたが、厳しい判断です。
ブルボンは2011から「プチ」シリーズを日本の輸出代理店を通じて、インドネシアの輸出代理店のCV .ローマに販売しており、その輸入代理店がインドマレットに商品を卸していました。インドマレットはインドネシアのコンビニの最王手で、豚成分を含むお菓子がムスリム圏で流通してしまったわけです。
まず「プチ」の原材料表示には「チキンシーズニング(乳・卵・小麦・豚肉を含む)」という記載があるにも関わらず、なぜ流通してしまったのでしょうか。
原因は「伝達ミス」ようですがブルボンとCV.ローマの意見は対立し、さらにイスラム教で最も禁忌である「豚」成分を含むお菓子を知らずに食べさせられてしまうわけですから、重大な国際問題にも発展しかねない事件でした。
これらの事件のようにまったく悪意なくハラールを冒してしまうこともあり、悪意がなくともムスリムにとっては神を冒涜されたのも同然ですからハラール問題はとてもセンシティブな問題です。
ハラールの規定は、基本的に世俗的な法律ではなく、あくまで宗教上の規定であり、成文化されておらず、詳細な内容は国や地域によって異なります。
最近のニュースなどでよく聞くようになった「ハラル・フード」というのは2000年代以降に、ハラル認証が国家事業としてマレーシアを中心に進められてから知られるようになった言葉で東アジアと中東では「ハラール」に対する認識が異なるということを理解する必要があるでしょう。
中東では国内市場にあるものは、特定売場や特定店舗を除き全てハラールで認定マークのある無しに関わらずハラールであることが前提とされています。
さらにイスラム教の中心である中東では、湾岸協力会議(GCC)諸国共通の定義が示されている一方、マレーシアやインドネシアでは食品のハラール制度に関しては成文化されていたり、個々の宗教機関・政府機関などが独自に判断している国もあるためどこの国でも通用するハラールの認証はありません。
例えば、マレーシアに食品を輸出する場合はマレーシアのハラールに適合した認証を受ける必要があります。
また動物の屠殺方法についても、クルアーンにより細かな規定があり
“あなたがたに禁じられたものは、死肉、血、豚肉、アッラー以外の名を唱え殺されたもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、ただしあなたがたがその止めを刺したものは別である。以下省略“
(第五章3節より)
この節は現代の主流の屠殺方法「スタニング」(気絶処理)をハラームとするもので、スタニングを行わずに屠殺した動物は屠殺時に長い間苦しむことになるので国際的にもハラール屠殺を禁止する動きもありますが、ムスリムからは反発の声もあり国際社会との摩擦は今後も避けることのできない問題でしょう。
「ハラール」の適用範囲は現代では「農場から食卓」までに及び、例えば牛の食べる飼料、はもちろんのこと、加工から運搬、梱包、陳列すべてにおいてハラールであることを求められるようになりました。
一方、「飲酒」についてはどうでしょう。酒の飲酒ついては国ごとに扱いが違い、豚肉ほど厳しく禁忌とはされておりません。とはいえ、アルコール消毒もハラームだとする考えもあるようです。特にアラビアやUAEなど古くからのイスラム教が伝わる国は現代でも戒律に厳しく原則禁止とされています。
7世紀に口伝えされ、編纂されたクルアーンが現代までそのままの形で残り、ムスリムの人々の生活様式にこれほど影響されているのは奇跡的なことではないでしょうか。
輸出入や海外渡航も盛んな現代では非ムスリムも巻き込んで「これはハラール?ハラーム?」の議論もますます加熱しそうです。