イギリスでは「数学は難しい、できない、嫌いだ」という文化があります。特に古い世代の文化は、新しい世代に影響を与えているに違いありません。この考え方は他の国でもあてはまるのでしょうか?
数学は子供たちの中で発展する能力だと思います。私は1990年にスウェーデンで経験したことがあり、学校は数学が得意な人をあまりうまく扱わないので、生徒の楽しみを台無しにしてしまうと言うほどです。
数学の先生は、頭が良くても仕事をするのが苦手です。
私は大学で代数学に二度失敗して、「数学が苦手である」と確信しました。
しかし、15年後、私は学校に戻り、ソフトウェア開発の学位を取得し、簡単に数学とアルゴリズムのクラスに合格しました。
そのときには「私には数学ができる!」という考えを持っていました。私は娘たちに、数学がいかに楽しいか、私がいかに数学が得意かを、機会あるごとに伝えています。
娘たちに自分自身を有能だと感じるようにしようとしていますよ。
数学を教えることはすごく難しい。
代数の問題でxをクエスチョンマークに変えたことで、だれかが代数の意味がわからなくなったことを思い出します。
私が住んでいるアメリカでも、同じようなことがあります。
自分自身もそうですが、多くの人は数学が嫌いなだけだと思います。
どの国でもあると思います。
「私は数学がわかりません」と言われ、みんなが肩をすくめてうなずき同意するのを何度も聞いたことがあるほどです。
「科学や数学を知る必要はありません。科学者になるつもりはあないからです」という考え方さえあるよ。
私はクリエイティブ業界で働いていて、美術学校に通っていました。
「私はアーティストなので、数学はできません」 「数学のことは聞かないで、私は芸術家だから!」などと、寸法を測って絵を均一に描くといった簡単な手法を、周りの人がいい加減にやってしまうことにはいつも驚かされます。
私はこれまでに何度も、自分が数学がいかに苦手かを自慢している人たちを見てきました。
これが正当化されていることにはいつも驚かされます。
他のことについては、そのようには話さないでしょう?「私は読書がとても苦手です!これまで識字率を管理することができなかったけど、ただ他のことが得意だっただけだよ」という言葉は聞いたことがないと思います。
アジアにはありません。
「数学が苦手である」であることは、一般に受け入れられることではないです。
「数学が得意な人=賢い人」という概念が標準化されている国の数はわかりませんが、日本も同じように感じます。
社会的に価値のある人になるために数学が必要かということです。私の国では、そういう考え方が強いのでしょう。
私がアメリカの大学にいたときの数学のレベルはあまりよくなかったが、それは当時の個人的な認識から来ているのかもしれません。
私は数学が嫌いで学校で苦労しました。大学に入学したとき、数学を取らざるを得なかったのですが、成績は優秀でした。
学生時代との違いは2つありました。1つ目はより年齢を重ねていたことです。脳の発達が重要な役割を果たしていたと思います。
2つ目は私の学校には14時間体制の学習センターがあり、学生は無料で利用できたことです。
不適切な年齢で誤ったレベルの数学を試さなければならなかったことが、自尊心を傷つけたと思います。
適切な年齢かを再評価する必要があります。
参照:https://www.reddit.com/r/science/comments/k2lhsf/high_achievement_cultures_may_kill_students/
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