現在Netflixで独占配信されているオリジナルドラマ、「今際の国のアリス」。
世界190か国で全8話が一気に配信されており、日本国内の視聴ランキングで一位に輝いた他、12月14日のNetflixTVショーランキングでも堂々の世界総合8位を獲得しています。ドイツ、スペイン、韓国でも配信開始直後から続々とランキング入りを果たしました。
これは日本発のドラマとしては前例のない快挙です。
ドラマ版の主演は「キングダム」「四月は君の嘘」など、漫画原作の劇場版に多く抜擢されてきた山崎賢人。熱血肌の絶叫や泥臭い演技に定評があります。本作の佐藤信介監督とは、動員数300万人、興行収入50憶円以上の爆発的なヒットを記録した「キングダム」から引き続きタッグを組みます。
原作は麻生羽呂による漫画で、2010年から2015年まで「週刊少年サンデーS」に連載された後、「週刊少年サンデー」に移り2015年から2016年まで続きました。単行本は全18巻完結済みです。別冊少年マガジンの「神様の言うとおり」などと並び、ややマイナーながら完成度の高いデスゲーム作品として連載中は人気を博していました。
主人公が交代した同世界観の「今際の路のアリス」など、スピンオフも存在します。現在は「今際の国のアリス」の続編にあたる「今際の国のアリスRETRY」が連載中で、こちらは本作の数年後に妻子を持ったアリスが、再び今際の国に迷い込むストーリーとなっています。
膨大な製作費をかけ、各国での滑り出しも好調な「今際の国のアリス」ですが、原作からの変更点が意外と多いのをご存知ですか?それも根幹部分の大幅な改変が目立ちます。
この記事では原作とドラマ、OVAの相違点に触れながら、「今際の国のアリス」の魅力を徹底解説します。
まず原作から最大の変更点として挙げられるのは、アリスたちの年齢です。
主人公のアリス、ならびに彼の悪友であり、序盤のメインキャラとして活躍するカルベとチョータは原作において全員同い年の17歳でした。まず冒頭から、アリスとチョータが校舎裏でくだらないことをだべるシーンで始まるのです。
アリスとチョータは高校の制服を着ており、今際の国でもこのスタイルで活動します。一方、アリスの幼馴染のカルベはなんと小卒で高校に通っていません。
ですが17歳にしてバーを経営しており、アリスに一国一城のあるじと羨まれています。カルベのバーはアリスたちのたまり場になっており、高校生の飲酒シーンもありました。ドラマ版ではさらっと流されましたが、原作冒頭ではこの腐れ縁トリオの馬鹿騒ぎや、アリスの家庭の事情が尺を割かれて描かれています。
父と弟の家族構成自体は変わっていませんが、原作では母親が不在な理由は明らかにされません。ですがドラマ版冒頭ではアリスの部屋に母親の遺影があり、おそらく死去したものと推測されます。アリスの無気力さや自堕落な生活態度には、母親の死が関係していると匂わす描写もありました。
ドラマ版のアリスは大学を中退し、毎日ゲーム三昧のニートです。彼はパズルゲームが得意ですが原作では特にゲーマー設定はなく、学校をサボってカルベやチョータと遊び歩いていました。
原作から年齢が引き上げられた理由は、高校生の飲酒シーンを描くのが倫理的にまずかったのと、カルベがバーの経営者という設定に無理が生じたからと推察できます。
原作にならえば17歳で未成年のカルベがバーを所有し、そこで高校生のアリスたちにアルコール類を提供していることになり、さすがにリアリティを欠きます。ここは二十代前半としたほうが自然ですね。視聴者も仕方がないと納得いくのではないでしょうか。
また、ヒロインのウサギも女子高生から年齢が引き上げられています。大学中退のニートでネットゲームにハマっているアリスの変更点も、より現代の社会問題に根ざしており、視聴者の共感が得られやすくなっています。
アリスの親友であり、コメディリリーフの三枚目として憎めない愛嬌を発揮するチョータ。シリアスなシーンも、彼のおかげでほっと息を吐けた視聴者は多いのではないでしょうか。
序盤の名脇役として演技が光っていたチョータは、原作ではアリスと同じ高校に通っている高校生です。アリスとは高校で知り合い、それからカルベに引き合わされて親しくなったので、小学校から親交のある二人に比べてそう長い付き合いではありません。
ドラマではIТ企業に勤めており、電子機器の知識を披露して他のメンバーを助けたチョータですが、原作では足手まといの印象が強く、特別な技能や知識を持たないキャラクターとして描写されていました。
さらに大きな変更点として挙げられるのが彼の家庭環境です。原作のチョータの家庭は父親が借金をして暴れ、両親が不仲でした。チョータは怠惰で無能で借金まみれ、一日中家でゴロゴロしている父親を見て育ち、自分も将来ああなるに違いないと悲観していました。あらゆる面で弟を優遇するエリートの父に劣等感を植え付けられたアリスとは別ベクトルで、父親の存在が生き方に影響を与えていたんですね。
ドラマ版はチョータの母親しか出てきません。彼女はチョータが子供の頃から世界滅亡を予言する新興宗教に傾倒しており、成人した息子のもとへたびたび金の無心に現れます。そんな姿に辟易すれども拒みきれず、「人類への天罰で世界は滅ぶ」とヒステリックに取り乱す母に毎回給料を渡していたチョータ。
母が貢いでいたのは多額の寄付だけではありません。のちに彼は子供時代を思い返し、母と新興宗教の教祖が体の関係を持っていた事実にショックを受けます。ドラマ版でチョータの母子関係がフォーカスされているのは、父親絡みのトラウマだとアリスと被るからでしょうか。父親が借金を作って働かず家にいる、というだけでは確かにパンチが弱いかもしれません。
足を負傷したチョータがシブキの言葉に惑わされ、アリスやカルベへの不信感を育てていく過程を描くなら、身内の裏切りに関してもっと重いトラウマを持たせた方が説得力がでます。教祖に洗脳された母親が主張する「神の罰による人類滅亡」のプロットが、誰もいなくなった渋谷の街と一致し、より不気味な臨場感を持たせる狙いもありました。
序盤でアリスたちと合流し、彼らの仲間になる紅一点の美女シブキ。アリスたちよりやや年嵩の社会人で、むさ苦しい男所帯に華を添えてくれます。ですがドラマ版のシブキは出世の為に嫌な上司と関係を持ち、自分が生き残り元の世界に戻る為なら平気で他者を犠牲にするキャラクターでした。
原作のシブキにそのような描写は一切ありません。これは他のNetflix作品にも該当しますが、シブキのベッドシーンが盛り込まれたのは、その方が刺激が強くなるからだと思われます。
Netflixは表現の規制が緩いので、他のオリジナルドラマでもセックスシーンがよく出てきます。心身ともに弱っているチョータを利用しようと関係を結ぶのは原作通りですが、その後植物園で行われた「かくれんぼ」において、死の間際に改心しました。
ドラマ版では省略されていますが、彼女が初参加となる地下鉄のゲームでは他に二人の仲間がいました。仲間たちとポジティブに励まし合い、再会を誓ってホームで別れたものの生還したのは自分ただ一人。自殺行為に走ったシブキのみが思惑に反して生き残る、実に皮肉な結末をむかえてしまったのです。
そのような経緯があり、生き残る為には他人を犠牲にするのも厭わない非情な覚悟に至ったシブキですが、チョータやシブキ、アリスのやりとりを無線越しに聞き、「この子たちの想いを背負って生きるなんて私には無理」と自らゲームを降りてしまいました。原作の彼女は精神面では弱いものの基本的に善良な人間であり、アリスたちの友情に触れて再び良心に目覚め、過酷な現実を受け入れる過程が読者に感動をもたらしました。
ここまではドラマ版と原作の相違点を書いてきました。他にもウサギの父親の最期など、細かい変更点は枚挙に暇がありません。原作ではウサギの父は首を吊って自殺しますが、ドラマは山へ行ったまま消息を絶ちました。
アリスたちが参加するゲームの内容や順番も変更されています。本来一番目は「おみくじ」で、おみくじのクイズに正解しないと誤差の分だけ火矢を射られるというものでした。変更理由は渋谷にめぼしい神社がなかった点や、一億本の火矢を射かけられるシーンの規模が大きすぎて再現が難しかったからでしょうか。
しかしドラマ版でアップグレードされた魅力もあります。
まず注目してほしいのは、莫大な製作費をかけて再現された渋谷の街のロケーションです。冒頭から非常にリアルな渋谷の描写に、てっきり現地でロケしたと錯覚しそうになりますが、実は全部セットです。「今際の国」のアリスは撮影の為に、渋谷の街をまるごと再現してしまったのです。現実を模して細部まで作り上げられた渋谷の街とそこから人が消えた非日常の不気味さが、皮膚感覚のリアリティを与えるのに成功しています。ゲーム中にかかる音楽も、荘厳な雰囲気を出すのに一役買っていますね。
ドラマ版の「おにごっこ」「かくれんぼ」「まじょがり」では、アリスたちが逃走をくり広げるシーンで、まるでレクイエムのような荘厳な音楽が流れだします。疾走感やスリルを表現するならむしろアップテンポのロックをかけるべき場面でクラシックが流れるので、他のデスゲーム作品では命がただのコマとして消費されがちなのに比べ、より人の生死や感情にドラマティックな色合いが付与されます。
原作との相違点が目立ちますが、それは改悪ではなく、原作の魅力を生かした上でアップグレートしてるとも解釈できます。というのも、ドラマ版の俳優陣がこぞって原作にビジュアルを寄せてきているからです。
主演のアリス(山崎賢人)は言うに及ばず、土屋大鳳演じるウサギはタンクトップから突き出た逞しい肩や腕が魅力的なハンサムなヒロイン。彼女は熟練のクライマーであり、マンションの外壁をよじのぼったり、離れた足場から足場へ空中ジャンプしたりと、見せ場となるアクションを立体的に再現していました。
チョータを演じる森永悠希も見事で、ヘタレでおどけたチョータの特徴を上手くとらえています。
卓越した演技力を誇る俳優陣の中で、一際異彩を放っているのがチシヤを演じる村上虹郎。金髪ロン毛のビジュアルもさることながら、チシヤの人を小馬鹿にした食えない笑顔や、敵か味方か掴み所のない雰囲気を非常によく出していました。
現在Netflixでの実写化を記念し、YouTubeで「今際の国のアリス」OVAが期間限定公開されています。こちらは原作に即した内容で、アリスたちが最初に参加する「おみくじ」が、壮大な演出で再現されていました。
OVAに詰め込む為に端折っている個所も多く、「かくれんぼ」でアリスがチシヤのiPadの充電を見咎めて肝が据わってると感心する場面、同じく「かくれんぼ」にて、カルベが上階からあえて落下し柵を掴む体当たりのアクションが省略されています。全編通してクオリティが高く、実力派の声優陣の演技も素晴らしいです。ドラマと合わせて観ればより両者の魅力を堪能できそうですね。
「今際の国のアリス」が世界中でヒットしているのには、デスゲーム自体の人気も無視できません。「バトルロワイヤル」「ライアーゲーム」「カイジ」「GANTZ」等、デスゲーム作品の映画化はヒットに恵まれています。海外でも「CUBE」「SAW」「ハンガーゲーム」がヒットを飛ばしましたね。
デスゲームとはフィクションにおけるジャンルの一種で、登場人物が命がけの危険なゲームに巻き込まれる話をさします。何故デスゲーム作品は量産されるのでしょうか。
デスゲーム作品の大きな魅力として挙げられるのは、特殊なルールが支配する限定空間における人間関係の軋轢やエログロ描写を、とことん描ききれることです。
インターネット、テレビ、映画、漫画……。様々な娯楽が溢れた現代、刺激慣れした人々はさらに過激でエグいものを追い求める傾向にあります。まさしくゲーム感覚で命が安く大量に消費され、それに伴うスプラッタ描写で視覚に刺激を与えるデスゲーム物はこの需要にマッチしていました。
ゲームのギミックもそれぞれに凝っており、ただ理不尽なだけでは終わらず、固有のルールや主催の裏をかいて生き残る抜け道が用意されている点も考察がはかどりますね。知恵と機転と度胸が試されます。
背景は壮大ですが、主人公がおかれた状況は密室。そこで展開される人間同士の緊迫した駆け引きや愛憎にまみれた騙し合い、極限状況下での裏切り合いは、誰が味方で敵かもわからない心理サスペンスの醍醐味となって私たちをぐいぐい引き込みます。
善人だと思っていた友人や恋人が醜い本性をさらけだして自分だけ生き残ろうとしたり、悪人だと蔑まれていた人間が献身的な一面を見せる意外性が、尽きせぬ衝撃と感動を与えてくれるのではないでしょうか。
また、デスゲームの大半にはゲームを主催する黒幕が存在します。主人公たちには次々と降りかかる試練を生き残る手近な目標ともに、参加者の命をもてあそぶ黒幕の正体を推理して迫る最終的な目的も課され、二段構えで用意されたフックが、「先が知りたい」と逸る視聴者の興味をラストまで引っ張る構成になっています。
黒幕を突き止めて打倒すべく、それまでの禍根を流して敵と手を組む展開はデスゲーム物の王道であり、視聴者が最も盛り上がるというのは同意いただけるのではないでしょうか。それ以外にも一度に大勢のキャラクターを出せるのでどれかは確実に視聴者の好みにハマり、打率が上がるというのもありますね。
海外で有名なプロットに、映画のタイトルとなったクリフハンガーというのがあります。本来は視聴者に物語の結末を託す意味で使われますが、視聴率が低下するとすぐ打ち切りになる海外ドラマでは、シーズンごとの最終回が事件の解決を先延ばしにする形で描かれる為、「視聴者の興味を持続させるために、中途半端で刺激的な、引きを重視した終わり方をする」意味へと転用しました。1910年代から20年代にアメリカで流行った連続活劇の大半が、主人公が崖からぶらさがるピンチを描いて終わっていたのが、「崖にぶらさがるもの」=「クリフハンガー」の由来になったのです。
デスゲームが流行する理由には、このクリフハンガー要素も含まれています。物語の性質上、デスゲーム作品はほぼ毎回「引き」を重視した終わり方を余儀なくされます。
「今際の国のアリス」第一シーズンも例外に漏れず、ゲームの主催者は誰なのか、目的は何なのか、アリスたちが元の世界に帰れるかも不明のまま、さらなる戦いや謎を提示してひとまず幕を閉じました。
主人公たちは一体どうなってしまうのか。過酷なゲームを生き残れるのか。次に死ぬのは自分の好きなあのキャラかもしれない。
そんな怖いもの見たさと紙一重の中毒性に依存する興味が、私たちをデスゲーム作品に熱中させるのかもしれません。
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