2020年12月18日、第164回芥川賞・直木賞の候補作が発表されました。芥川賞には、ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観さんによる『母影(おもかげ)』がノミネートされ、話題となっています。
また、直木賞にはNEWSの加藤シゲアキさんの『オルタネート』が受賞候補にあがっています。
以前には、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんの処女作『火花』が第153回芥川賞を受賞。他にも、水嶋ヒロさんや押切もえさんなど、多くの芸能人が文学賞を受賞・受賞候補となりました。
芸能人が文学賞の受賞候補にあがることに対して、「単なる話題づくりなのではないか」「本当に作品の良さで選んでいるのか」という疑問や批判の声は、少なからずあります。
そこで今回は、尾崎世界観さんの『母影』がなぜ受賞候補となったのか、ミュージシャンや芸能人がノミネートされることにどういった意義があるのかについて考察します。
尾崎世界観さんはいろいろな顔をもつ表現者
まず、尾崎世界観さんがどんな人か、紹介します。
【プロフィール】
・本名:尾崎祐介
・生年月日:1984年11月9日(36歳)
・出身地:東京都
・職業:ミュージシャン・シンガーソングライター・小説家
・活動期間:2001年~(「クリープハイプ」メジャーデビューは2012年4月)
尾崎世界観さんは、ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギターです。「クリープハイプ」は、数々のフェスに参加し、ツアーライブは参戦したくてもチケットの当選が難しいほどの人気バンド。
2017年には、尾崎さん単独でバラエティ番組「アウト×デラックス」に出演。マツコ・デラックスさんから「こんな面白い人だったんだ!」と言われるほど、個性的なキャラクターです。
小説家としては、2016年6月に初小説『祐介』を発表。自分の本名をタイトルにかかげたうえ、売れないバンドマンを主人公にした作品です。
あまり知られていませんが、他にも
・『苦汁100%』『苦汁200%』(文藝春秋)
・『泣きたくなるほど嬉しい日々に』(KADOKAWA)
・『犬も食わない』(千早茜さんとの共著・新潮社)
などをリリースしています。
そして、今回ノミネートされた『母影』が、文芸誌「新潮」の2020年12月号に掲載されました。
『母影』は、小学校低学年の少女目線で描かれた作品
芥川賞候補となるほどの『母影』とは、どのような内容なのでしょうか?気になる作品のあらすじを紹介します。
【『母影』のあらすじ】
小学校でも友だちをつくれず、居場所のない少女は、母親の勤めるマッサージ店の片隅で息を潜めている。お客さんの「こわれたところを直している」お母さんは、日に日に苦しそうになっていく。カーテンの向こうの母親が見えない。少女は願う。「もうこれ以上お母さんの変がどこにも行かないように」。
shinchosha.co.jp/book/352142/
主人公は、母子家庭で育つ小学校低学年の少女。母のお店に来るお客さんは、しだいに「おじさん」ばかりが増えていきます。不穏な雰囲気がただよう生活の中で、少女の視点からみた世界を描いていたストーリーです。
『母影』読者によるツイッターの反響は上々
あらすじ以上に気になるのが、実際に『母影』を読んだ人の感想ではないでしょうか?ツイッター上には、すでに『母影』を読破した方からの反響が集まっていました。
ツイッター上の感想をまとめると、以下の通りです。
・男性なのに少女の心を鮮明に描いているところがすごい
・文章から五感を感じ取れる
・自信を投影した私小説ではない、真の純文学作品である
・リズミカルで読みやすく、読了感がいい
作品のストーリー性だけでなく、尾崎さんの表現力を評価する声が多くみられました。今回の芥川賞ノミネートは、有名人へのひいきや単なる話題づくりではなく、実力で勝ち取ったものだと考えられます。
また、受賞候補の連絡を受けたのち、尾崎さんは下記のコメントを残しています。
「芥川賞の候補になったと連絡が来た時は、家で一人で絶叫しました。恥ずかしかったから周りには言っていなかったけれど、バンドメンバーだけには、居酒屋で酔った勢いで、絶対に芥川賞候補になると約束していました。無事に約束を果たせて良かったです」とコメントした。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ce058a1cbce075ececa450ca730cb5de3464b10
上記から、尾崎さんはメンバーに約束するほどの覚悟を持って執筆していたことがわかります。なんとなく書いた小説が運よくノミネートされてしまったような、生半可な気持ちではありません。
芥川賞の目的からみても、尾崎世界観さんのノミネートは妥当
そもそも、芥川賞がつくられた目的をご存知でしょうか?
芥川賞は、1935年(昭和10年)に芥川の友人である菊池寛が、以下の3つを目指して設定した文学賞です。
・芥川龍之介の記念
・当時主宰していた雑誌「文芸春秋」の発展
・純文学の新人発掘
それでは、尾崎世界観さんのノミネートは、芥川賞の目的にそったものだったのかを見ていきます。
●純文学の無名作家を発掘する目的に合っている
芥川賞には、純文学の新人の発掘を目指す目的があります。そのため、著者が新人や無名かどうかが基準の1つとなります。
尾崎世界観さんはデビュー4年目ですが、まだ小説家として有名とはいえません。実際のところ、芥川賞ノミネートと聞いてはじめて、尾崎さんにミュージシャンだけでなく小説家の顔もあることを知った人が多くいます。
「純文学の無名作家を発掘」という、芥川賞の目的に合った選出だったと考えられます。
●文学界のPRにつながることも目的の一つ
現在、芥川賞や直木賞の選考と授賞を行う「日本文学振興会」のホームページには、以下の記載があります。
日本文学振興会は「文芸の向上顕揚を計ることを目的」として、芥川龍之介賞、直木三十五賞、菊池寛賞、大宅壮一ノンフィクション賞、松本清張賞の選考と授賞を行う公益財団法人です。
https://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/
以上から、芥川賞には「文芸を広く世に広める目的」があるとわかります。その意味では、有名人が候補にあがることで、文学界全体のPRになる側面があることは否定できません。
すでに文芸以外の分野で知名度がある人物が選出されることで、同時に他の小説家や作品にも注目が集まります。そして、結果的により多くの人があたらしい作品を手に取ります。
芸能人の文学賞受賞に否定的な意見があることも事実ですが、受賞者選びで文学界をもり上げることが、目的の一つであることは間違いありません。
尾崎世界観さんが「純文学の無名作家であること」と「文芸を世に広めるきっかけとなること」は、芥川賞の目的に適しています。このように、芥川賞の目的を鑑みても尾崎世界観さんのノミネートは妥当でしょう。
音楽と文学は共通している
芸能人の授賞に対して否定的な意見を持たれやすいのは、物書きを本職としている人よりも知識や経験が少ないと思われがちだからではないでしょうか。
しかし、音楽と文学は同じ芸術です。音楽も文学も、「人の心の動きを表現する」という点では共通しています。
どちらも恋愛や親子関係、社会への不満など、さまざまな体験や感情をテーマに作品を生み出します。そして、作品に触れた人の共感や感動を湧き立たせます。
また、日本文学の根幹である和歌も歌の一つです。
楽曲制作と小説執筆において必要とされる感性や表現力には、近しいものがあります。そのため、音楽をつくるミュージシャンが文学に長けていることになんら疑問はありません。
また、お笑い芸人や俳優も同じ表現者です。日頃、テレビやイベントで人をよろこばせるための表現活動をしている芸能人から、文学賞の授賞候補が多数出るのは当然ではないでしょうか。
尾崎世界観さんの『母影』は芥川賞を受賞するのか
芥川賞の受賞候補作となり、読者からの反応もいい『母影』ですが、実際に芥川賞に輝く可能性はあるのでしょうか?
個人的には、尾崎さんが芥川賞を受賞する可能性は十分にあると思っています。というのも、上記でもお伝えした通り、尾崎さんの表現力がすばらしいからです。
『母影』の文章から伝わってくる、微妙な感情のゆらぎや情景の描写は、尾崎さんにしか出せないものだと思います。
物語の舞台は、母親の職場と自宅アパート、少女の通う小学校がメイン。限られた空間で、母親が抱える悲しみや、娘のさみしさ、世間の薄汚さなど、さまざまな感情が渦巻いています。それらが少女の言葉に還元され、間接的に感じとれることで、物語に引き込まれます。
『母影』は、アクションやサスペンスではないのに、ページをめくるたびに胸がドキドキする緊張感があります。一方で、読み終えたあとは、少しの切なさと同時にあたたかい気持ちになれます。
近いようで遠い母と娘の距離感や、愛情を感じながらもどこか不安げな少女の感情などが繊細に描かれている作品です。
これほどまでにいろいろな感情に触れられる作品は、多くの読者にとって特別なものとなるはずです。芸能人だからというひいき目を抜きにしても、尾崎さんが芥川賞を受賞する可能性は十分にあるでしょう。
選考結果は2021年1月20日に発表予定。尾崎世界観さんの『母影』が芥川賞を受賞するかどうか、要注目です。
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