安楽死の是非について考える
はじめまして、ジスさんと申します。
コロナ渦中である昨今に先日、驚きのニュースが飛び込んできた。
ALS患者の嘱託殺人容疑で医者2人が逮捕
SNSを通じて知り合ったとされているALSの女性患者の依頼で京都市の自宅に出向き、薬物を投与し殺害したとして大久保愉一容疑者(42)と山本直樹容疑者(43)の2名が嘱託殺人の疑いで逮捕された。
今回殺害されたALS患者の女性はSNSに“安楽死させてほしい”といった自ら安楽死を望む投稿をしていたとされ、現在も捜査が進んでいる状況だ。
一見すると医者が患者を殺害した事件のように様相を呈するが、この事件。
我々が思っている以上に、現代の日本で考えていかなければならない倫理的な問題なのではないかと思っている。
ALSとは
筋萎縮性側索硬化症という病気の略。
運動神経系に障害が起き、悪化すると呼吸するために必要な全身の筋肉が徐々に動かなくなってしまう進行性の難病である。
筋肉の病気ではなく神経の病気であり、現在日本における患者数は約1万人とのことだ。進行を遅らせる効果のある薬はあるが、治療法は存在しない。
発症する原因も未だ解明できていないが、神経の老化や、2割程度の患者から酸素の遺伝子に異常が見つかったため、遺伝子的な原因もあるのではないかとされ、研究が進んでいる。
安楽死について考える
私が皆様と考えていきたいのは、安楽死の是非についてである。
今回の事件では、女性患者が自ら安楽死を望んでおり、安楽死させてほしいSNS上で発信をしている。
本来ならば彼女も生きたくてしょうがなかったはずだ。
しかし、現在の医学ではALSの完治は不可能で、ただ苦しみながら死を待つしかない状況にある。
このまま苦しんで死んでいくだけなら、と、彼女は”安楽死させてほしい”という選択をしたのだろう。
そして彼女の要望のまま、大久保容疑者と山本容疑者は実行した。
2種類の安楽死
安楽死には“積極的安楽死”と“消極的安楽死”の2種類がある。
積極的安楽死:positive euthanasia
患者の意思に基づき、致死性の薬物投与することより死に至らせること。
消極的安楽死:negative euthanasia
患者の意思に基づき、延命治療を開始しない、また開始しても後に中止し死を待つことである。
すごく簡単に説明するなら積極的安楽死は死に至らせる。消極的安楽死は死を待つ。と言った解釈でいいだろう。
一般的に積極的安楽死の場合、以下の4つ全てに該当しないでおこなった場合、現在の日本の法律では「殺人」「嘱託殺人」「承諾殺人」といった罪に問われる。
・患者本人の明確な意思表示がある
・死に至る回復不可能な病気・障害の終末期で死が目前に迫っている。
・心身に耐えがたい重大な苦痛がある。
・死を回避する手段も、苦痛を緩和する方法も存在しない。
海外では一部積極的安楽死が認められている国もあるが、認められているとはいえ審査は厳しく、安易な判断で積極的安楽死をおこなわない国がほとんどだ。
今回起きた事件も、患者に死期が迫っていないうえ、SNSで依頼を受けた容疑者がが苦痛の緩和を尽くしていないと判断されたため、「嘱託殺人」として罪に問われている。
しかし私は思うのです。安楽死とはそんなに悪いものでしょうか。
決して患者の死を願っているわけでもなく、人の死を願う人なんていない。
しかし、患者本人の明確な意思表示があった場合は本人の意思を尊重することも優しさのひとつではないかと考える。
積極的安楽死が認められている国スイスで2018年、104歳で安楽死したオーストラリアの環境学・植物学者デイビット・グッドール氏は、積極的安楽死についてこう語る。
「積極的安楽死はふさわしい時に死を選ぶ自由」
私はこの考えに共感というか、非常に感銘を受けた。
今回の事件の大久保容疑者と山本容疑者は、もちろん日本の法律に触れた行為をしたという意味では罰せらざるをえないだろう。
しかし法律という概念を取っ払って考えた時、果たして大久保容疑者と山本容疑者は、ただ悪い行いをしただけなのだろうか。
一人一人が死について考える
この議論には終わりがない。
結局は倫理の問題となってしまうため、この議論に正解や不正解は存在しない。
皆様の個人の考えや意見。それこそが正しいのだ。
しかし私たちは、こういった“人の死”という残酷であり尊いテーマについて、今こそひとりひとりが考えていくべきではないだろうか。
皆様は安楽死についてどう考えるだろうか?
お時間のある際にでも、安楽死の是非について話し合い、知識や思考を周りの方々と共有してみてはどうだろうか。
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私は安楽死賛成です!余命がわかっていたらそれを待つ心構えはありません!
だってその法律 安倍さんたちのような政治家と専門家たちがつくったものですよ。彼等に他人の人生にかかわれる能力があると思えないのは、昨今の行動で明らかじゃないですか。